サイボーグ父さんの『患者道』
- 第9回
- 体に植え込んだICDに突然のリコール
サイボーグ父さん(60代,会社員)です.
患者目線で,現在の高度な医療を体験して感じたことをお伝えしていきます.
情報提供のためのリコール
メーカーの担当者に話を聞いても要領を得ないので,厳しく質したら,日を改めて,メーカーの社内弁護士が説明に現れた.
「このたびはご心配をおかけして誠に申し訳ありません.ホームページなどでもご説明させて頂きました通り,実際の不具合の起こる可能性は稀で,重篤な健康被害に至る可能性は低いものでございます.またこの件と直接的な因果関係が認められる健康被害の報告はありません」
こちらにしてみれば検査回数の増加とそれに伴う電池の消耗で縮んだICDの寿命,つまり「命の保険」の実質的な保証期間が短くなるであろうことをどう考えているのか,はっきりさせてもらいたい.しかし弁護士もさるもの.ICDの寿命はもともと作動状況など患者の状態によって変わるので,一定期間を保証するものではないという会社の立場を説明したうえで,
「今回のリコールはあくまで情報提供が狙いのもので,弊社の製品に欠陥があったというものではございません.ただし医療機関を通じて患者様への適切なフォローをお願いするためのものでございます」
当事者間では主張のすれ違い
『情報提供のためのリコール』は初耳だが,要は製品の欠陥を認めるのではなく,取り扱いやその後のフォローの方法について念のためお知らせしますというものなのだろう.
もともと医療や医療機器はもちろん万能ではない.医療行為ならば同意書,医療機器なら説明書にさまざまなリスクや限界が示されており,所詮その限界のなかでの対応であることは間違いない.そうした前提や限界を踏まえたうえで,治療法や医療機器を受け入れるのは,最後は患者と家族の判断であることは間違いない.
今回の件も「欠陥ではなくその限界の範囲内」「実際に問題も発生していない」というのがおそらくメーカーの主張で,「いや同じサイボーグ父さんという同一の患者で比較しても,検査回数の増加に伴い電池の寿命が短くなるという不利益は存在し得るので,その場合メーカーの責任はないのか」というのがこちらの疑問だ.所詮当事者間では主張のすれ違いになるだけで,裁判所なり第三者の「行司」を入れないと決着はつかない.だが一個人がメーカーを相手に訴訟に突っ込むのは,よほど確証がない限り二の足を踏むのが現実だろう.確証を得られないままで,時間やコストをかけるのは,まさしく心臓に悪い.それで心身にダメージを受けては本末転倒だ.念のため,後日,厚生労働省のホームページに書いてある担当窓口に電話して確認をしたところ
「クラス1だからと言って必ずしも製品に欠陥があるというものではありません」 という答えが,事務的に返ってきた.
「再度の心室頻拍~~リコールのICDが正常作動」に続く